コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

ヒドゥンカリキュラム

カタカナ嫌いな私が、カタカナのお話から始めます。

 

ヒドゥンカリキュラム。

隠れたカリキュラム。

 

主に学校で、教科書や指導要領に基づいた、文字にして明示されたわかりやすい「教育」ではない、目に見えないけど確実に教わっている、あるいは身に付けさせられていることを指します。

 

今回のコロナウイルス感染拡大について、日本はたとえばヨーロッパと比較すると、まだ抑えられているほうだと聞きます。

私は、幼稚園や保育園、小学校でのヒドゥンカリキュラムが効を奏しているのではないかと考えています。

ごはんの前には手を洗う。

トイレに行ったら手を洗う。

手を洗うときにはせっけんで、指と指の間までしっかり洗う。

かぜを引いたときにはマスクをする。

咳やくしゃみをしたら、ごめんなさいと言う。

給食当番の人はマスクをして、唾がほかの人が食べるものに入らないようにする。

インフルエンザや花粉症の季節になったら、予防のためにマスクをする。

他人との適切な距離とは、体育の時に準備体操をする距離。手をぐるぐる広げても近づかない。

 

実際はできていないことが多いかもしれませんが、こういうことが理想として、教育機関の中で教えられているから、

ということが、感染拡大抑制のひとつの理由ではないでしょうか。

 

そして、

自分ひとりのことではなくて、みんなのことを考えましょうね、

という、集団教育。

個性が、とか、自由が、とか、思うこともありますが、基本的に「みんなのために」という気持ちを持つこと自体は悪いことではないし、押し進めるべきだと思うのです。

「みんな」があってこその、個性や自由。

 

ヒドゥンカリキュラムは、学校や、担任の先生、各地の文化によって左右されるものです。

でも、意識してみてはどうでしょうか。

一部は明文化して、日頃から、公衆衛生の考え方を子どもたちに身に付けさせる教育をできないでしょうか。