逼迫
昨日、体調が悪くなった。
お昼ご飯を食べている時から違和感があり、食後に鏡を覗くと、口の周りが腫れていた。
夜になると、顔全体に違和感があり、じんじんしてきた。触ると、ぼこぼこしていた。
腕にも発疹が出てきた。
夜も10時を過ぎたのに、どんどん顔も腕の発疹もひどくなってくる。
過去に、アレルギーで呼吸困難で数時間動けなくなるということを経験しており、それになったらどうしようと思う。
#7119に電話をして、指示を仰ごうとした。
電話口の看護師さんからは、瞼が腫れていなくて(見た目にはまぶたは腫れていなかった)、咳き込み(呼吸器内膜腫れ)がなく、息苦しさやアナフィラキシーがなければ、受診しなくてよいと言われた。
しかし、電話をしている間も、頭は朦朧としているし、顔の違和感は激しく、しゃべるのもやっとだった。
この数十分で症状が急激に悪くなっているので、できたら病院を受診したい、と言うと、
「コロナが理由で難しいと思いますよ」と断られた上で、
当番医を教えてくれた。
3つ教えられたけど、そのうち2つは明らかにものすごく遠かった。1番近いところは、内科やっているのか?と思ったけれど、何も言い返す気がなかった。
自宅からすぐの大学病院に行くことはできないか、と聞いた。今すぐにでも病院に行きたかった。多少お金がかかっても行きたかった。電話番号を教えてもらった。
コロナで難しいと思うのでこのサイトを調べてくださいね、とも言われた。コロナのことがあるので、必ず電話をしてから行ってくださいねと言われた。
メモをするのさえ困難なほどに手もおかしく、会話がまどろっこしかった。調べるとかどうでもいいから早く教えて病院につないでくれ、と思った。
当番医のうち、近いところに電話をかけた。
「うちは整形外科しかいないので無理です」とあっさり切られた。
大学病院には電話がつながらなかった。あとでホームページを調べると、総合の番号だったので、夜間対応していない電話番号だったのだろう。
やむをえず、24時間営業のドラッグストアを探し、自転車で行って、アレルギーの薬を買った。
花粉症用のものしかなかったけど、しかたない。
それを飲んで、無理矢理寝ようとした。
これまで、卵アレルギーの発作は、寝れば治っていた。
寝床に入ると、今度は全身の痒みが襲ってきた。
不安に苛まれながら眠りに落ちたのは明け方近く。
朝起きると、顔がぱんぱんに腫れあがって別人のようになっていた。
全身の発疹はそのままだった。
身体が重かった。
行きつけの皮膚科に電話をしたけど、予約がいっぱいだと断られた。
電話の間も、発疹が広がっていくのを感じていた。今、悪くなっているので緊急で見てもらえませんかと言ったけど、無理だと言われた。
お医者さんが出勤できず、手が足りないらしい。
そこは、申し訳なさそうに言ってくれ、「おだいじに」と言ってくれた。
昨夜の病院は非常にぶっきらぼうだった。
ネットで木曜日の午後もやっている予約不要の皮膚科を見つけ、行った。
親切に話を聞いてくれ、薬を処方し、検査してくれた。
お医者さんも看護師さんも受付の人も、とても親切だった。
よかった。
まだ症状は完全に治っていないけど、薬があるということと、「明日から三連休ですけど、うちはやっています」と言われたことが、ありがたかった。
アレルギーで、食後18時間以上症状が続くなんて初めて。
昨夜は、本当に、死んだらどうしようと思っていた。
学校で、生徒がアレルギーの発作を起こしたら、救急車を呼ぶ。
私も救急車を呼べばよかったのかもしれない。
でも、このコロナで困っている時に救急車の人の手を煩わせたくないと思った。
友達が急性アルコール中毒で倒れた時に一緒に救急車に乗ったので、救急車を呼ぶと大袈裟になることはわかっている。
これは救急車じゃないだろう、と思ったから、#7119にかけた。でもそこで教えられた番号は使えないものだったし、教えられた他の病院は遠過ぎた。
しかも、コロナなので難しいと思いますよ、と複数回言われた。
こんな夜中に病院に行きたいと言っているほどに症状が悪化していっているのに、調べてください、と言われるのは、きつかった。調べても、電話で言われた以上の情報は出てこなかった。
実際に死なずに済んだのだから、結論的には救急車を呼ばなくてもよかった。
でも、自力で夜中に病院を見つけ出すことの困難さを思い知った。
「コロナで、診てもらうのは難しい」と複数回言われたことも、心理的負担だった。
救急車を呼んでも、「診てもらうのは難しい」状況なのなら、死なない程度の症状なのに、病院をたらい回しにされて気まずい思いをするだけだ。
「本当に危ないと感じたら救急車を呼んでください」というアナウンスが流れたし、肉声でも言われたけど、「本当に危ない」ときには本人は電話できないのではないだろうか。
当番医が「整形外科医しかいないので無理です」と断るのは意味があるのか。その一言でがちゃりと電話を切るのはどうなのだろうか。
せめて、「ご本人さんですか、無理ですみません、お大事になさってください」と付け加えてもらえないだろうか。
医療体制を責める気はない。
ただ、言葉の力って大きいから、それに気を遣ってもらうことはできないだろうか。
「コロナで難しいと思いますよ」の言葉は現実的なんだろうけど、それで絶望的になる気持ちをどうにかしてほしい。
ほんとうに、昨日の夜は、死んだらどうしよう、という思いだった。
患者のその思いを、せめて言葉で救って。
これ、コロナに感染して、病院に行かなきゃいけないような状況になっても、行けないってことよね?
オンラインとオフライン
管理職の先生とおしゃべりする機会があったので、オンライン授業のことを話した。
「オンラインは補助でしかない」という意見がここまで一致したことがなかったので、嬉しかった。
基本的なことを一方通行で授業するなら、オンラインでもできる。ただ、子どもたちの板書を写すスピードや理解度を窺うことが難しいから、本当に一方通行のものになる。だったら、スタディサプリなどの学校外の授業を借りれば間に合う。
授業のコメントを集める、ということは、オンラインは適している。でも、そのコメントの文法を正してあげたり、誤字を直してあげたりすることはできない。
漢字テストもできない。その他実技系の試験もできない。学校の設備を使うようなもの(実験とか調理実習とか)もできない。
私の教科は国語だけど、著作権の問題が厳しい。渡辺謙のめちゃくちゃ渋くて大好きな朗読があるのだけど、それを聞かせてあげることは難しい。(一時期でしたが、光村図書さんがオンラインで朗読を解放してくださったのはとてもありがたかった)
高3だったらある程度何とかなるけど、やはり中1さんなど低学年はオンラインじゃなくて直接見てあげたい。
ただ、子どもたちの側からしたら、授業を一時停止しながら見られるとか、わかりにくかったところをもう一度聞けるとか、メリットもある。
そして、国内の遠いところや海外からのゲストスピーカーを招くこともできる。
オンラインだと、手元を見せやすいというのもある。中学生の美術の授業に感動した。拡大や早送りを使って、映像のテクニックを最大限に活用していた。
コロナの流行が拡大していて先が見えない状況では、混乱していても仕方がないけれど、コロナが収束したあとは、うまくオンラインとオフラインの使い分けと組み合わせをできればいいなと思う。
基本はオフラインで、でも、オンラインやツールをうまく取り入れながらやっていきたい。
共通テスト受けられなかった人への対応
共通テストを受けられなかった人には、各大学が個別試験で対応してほしい、と文部科学省が言った。
どうやって?
私は、センター試験で、国語、数学、英語、生物、地理、現代社会を受けた。
そして、大学の個別試験で、国語、数学、英語、日本史を受けた。
実際は別として、模試の段階では、センター国語7割、数学ほぼ満点、英語ほぼ満点、生物6割、地理ほぼ満点、現代社会8割、という感じ。
個別試験は、国語超得意(ランクに載るくらい)、数学一桁の点数(何もわからない)、英語そこそこ得意、日本史平均点くらい、だった。
もし、私がセンターを受けられなくて、個別試験だけで判定されるなら、生物と地理も受けなきゃいけないの?センターの生物地理と、個別試験の生物地理は全く違う。そもそも、生物は、センターはⅠだけでよかったけど、理系の人たちが受ける生物はIと IIでは。範囲から違う。
じゃあ、二次試験だけでいいよ、生物も地理もいらないよ、と言われたら、むしろセンターを受けない。生物が明らかに足を引っ張っているもの。
どうして私が京都大学を受けたかって、センターがあまり反映されず、主に個別試験で判定されるからだ。
センターが苦手で、個別試験が得意だったからだ。
特色入試というものがある。
秋に、提出書類やプレゼンで一次合格が出されて、共通テストが二次試験となるもの。
これで、共通テストを受けなかったらどうなるのか。全員合格させるのか。それとも、対策もしていない個別試験を受けさせるのか。
京大の個別試験は独特。問題形式はともかく、マラソンのように、ずっと書き続けなければならない。
アスリートのような受験勉強が必要。
まじで、筋肉と皮膚を鍛えました。
私大の共通テスト利用。
今時、あれを使えないのはものすごく不利。
どうなるの?
学力は共通テストで見て、個別試験は小論文と面接のみの大学。
どうなるの?
共通テストの成績が7割くらいで、個別試験は3割くらいの大学。
どうなるの?
大学進学率は5割強くらい。そのうちの7割くらいは私立に行くだろう。そして、もう推薦等で合格が決まっている人も大勢いるだろう。
そうすると、1割や2割の人だけが、共通テストを受けることになる。
それだけのために、なぜ大騒ぎする?
なぜ中途半端なことだけ言って、混乱させる?
大学側や受験生は、一体どうしたらいいの?
共通テストの追試第二弾第三弾を用意して、どうしようもない場合それを受けてください、各大学大変だろうけど対応お願いします、くらい言ったら、具体的だろう。
そもそも、毎年、インフルエンザやノロウィルスや、その他体調不良や事情で共通テストを受けられない人はいるんだから、今後もそういうのに対応していかなければならない。
今回の丸投げは、一体何なんだろう。
そして、大学は浪人できるけど、中学受験は浪人できない。
明日から、近畿圏は中学受験。
何も文部科学省は中学受験については言及していないのでは。
中学受験をする子の割合と、共通テストを受ける人の割合は、そんなに変わらないと思う。
何か言うなら、具体的な方法を提案して実行してほしい。
それができないなら、中途半端なことは言わないでほしい。
観光客が多すぎる
京都にいると、「観光客が多い」というのがわかる。
お店の行列。たとえば、「映える」喫茶店。日常づかいではないお菓子屋さん。メディアで報道されたお店。
人の歩き方。ビデオを撮りながらだったり、急に立ち止まって写真を撮ったり、ゆっくりゆっくりしていたり。
この三連休に京都に観光に来るのを予定していたのだろう。キャンセルできなかったのだろう。
でも。
マスクしてほしい。
ちゃんと検温や消毒という手続きをしてほしい。
食べ歩きをしないでほしい。
来るなら来るで、ちゃんと感染させない・しないように徹底してほしい。
それを「上の人」も呼びかけてほしい。
オミクロン株は「重症」にならないのかもしれない。でもそれって、ただ「死にはしない」というだけだ。感染したら仕事に行けないし、周りに迷惑がかかることは変わらない。未知の病気にかかるってことも変わらない。後遺症のケアまではまだ研究が進んでいない。病院がいっぱいになって、感染しても十分に安心できるほど見てもらえない。というか、また必要な医療が十分に行き渡らなくなる。
私は、絶対に感染したくないし、私を通して周りに感染させたくもない。
この数字の上がり具合に私はおびえているのに、京都は「平和」。
私の世界だけが、感染者が多いのですか?
マスクするって、マナーじゃないの?もちろん、可能な人は、っていう意味。
マスクなしでしゃべりちらかして、もの食べながらふらふら歩くって、コロナがなくても普通に迷惑。
成人式の人たちと相まって、三条四条は歩けないほど。
こわい。
電車の中
昔、神戸から京都の大学まで通っていた頃、電車がストレスだった。
家族が通学の大変さをなかなか理解してくれなかったし、家族の期待を大いに裏切った進学だったので、ほぼ通い通した。
何がしんどいって、乗客のテンションが高いのだ。
旅行気分の人が多い。
お弁当を食べ出したり、酒盛りを開いたり。
ひどいときには、リンゴを切るための果物ナイフを抜き身のまま持って座席移動をする人がいた。
おしゃべりがうるさい。
そのおかげで、私は、長時間電車に乗る時は、音楽をかけて、ただ眠る努力をしながら時間を過ごすようになった。音楽に楽しさは求めない。聴きなれた、中高生のころのものをひたすら聴く。ただ、早く着いてくれと祈るばかり。
コロナで助かったのは、電車の中が静かになったこと。
今年から、私の仕事のスタイルは変わって、また週に何回か、片道2時間超になった。
座れるし、静かだし、飲食はないし、テンションが高い人がいないし、車内は快適だった。
コロナが落ち着いている。
京都は人であふれている。
電車の中も、テンションの高い人がいる。
また私はひたすら音楽を聴いて、身を縮めている。
選挙
選挙に行こう、という呼びかけがやたらと多い。
なんか、最近、やたらと選挙が多い気がするのだけれど。
今日の用事の帰り際に投票所に寄ってから帰宅するつもりだ。
私は、投票をする、ということを、ごく自然なことと思っていて、何も疑ったことがない。
ああ選挙があるのか、くらい。
一回一回の選挙に思い入れがあったりなかったりするけれど、
新聞見たりホームページを見たりして調べて、ポスターや街頭演説を見たりして、
誰かしら、どこかしら選んで、投票する。
私にとっては、ごく普通のこと。
だから、なんで、こんなに投票の呼びかけがあるのかがわからない。
なんで、こんなに投票率が低いのかが、わからない。
逆に、「なんで投票に行くの?一度も欠かさずに行くのはなんで?」と聞かれたことがある。非常に困る。
「ほら、教員だからさ、やっぱり行っといたほうがいいかなぁと思って」「うちの両親が欠かさず投票に行く人だったから」とか、とってつけたように言う。
「まじめだねぇ」とか言われる。
コロナのワクチンも、インフルエンザのワクチンも、子宮頸がんのワクチンも、私は何も疑わずに受けてきた。
インフルエンザは、小学生の頃から、毎年、欠かさずに受けている。両親がどちらも医療系に勤めているので、家族の誰かが感染すると出勤停止になるのだ。だから、両親はインフルエンザを非常に恐れていた。そして父は公衆衛生の、予防系の医学研究者だったので、分野は違えど、病気を予防するということを積極的に発信していく立場だった。
私の周りにも、コロナのワクチンを接種していない人が、ちらほらいる。
「受けるべきだよ!」と強く言えない。
職場とかなら、職種的にも、職場の場所的にも、リスクが非常に高いし、誰かが感染した時のリスクは私にも降りかかってくるので、言えるけど。
主婦やフリーで働いている人、異業種の人には言えない。
「あー、そうなんだ。私は、仕事的に、受けたけどなぁ。まあ、受けなくてもいいんじゃない?」とか、言ってしまう。
投票と一緒だなぁと思ってしまう。
私は、当たり前だと思っているけど、
当たり前だと思ってない人がたくさんいる。
なんでコロナやインフルエンザのワクチンを打つの?と聞かれても、私は、当たり前だと思って打っただけで、言葉にできる理由は苦し紛れのものしかない。
教員だから、うちの親の子どもだから、というアイデンティティから?そんなのは苦し紛れ。
何も疑わずに、受け入れてしまったんだからしかたない。
私の当たり前を人に押し付けてはいけない。
とくに、ワクチンは、一人一人の健康観に深く立ち入れない以上、強く言えない。
でも、逆に、どうして、投票に行くということが、当たり前ではないのだろう?
それを誰かに聞いてみたい。