コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

「受験」のためではない

小一、小六、中三、高三に優先的に教育を、と言われる。

中三、高三は、入試のためだと。

ちがう、そうじゃない。

高校に進学しない人もある程度いるし、大学は世の中の半分くらいしか行かない。

中一の内容でやり残したものがあっても、中二でカバーできる、中二でやり残したものがあっても、中三でカバーできる。でも、中三でやり残したことは、あとでカバーできない。中学のうちにやっておかなければならないのだ。だから、優先的に中三に学ばせなければならないのだ。

高三も同様。

中学の内容と高校の内容は全然違う。教員だって、免許の種類が違う。だから、高校一年生で中三の内容をする、というのは、建前上はできないのだ。

そして、大人になってから思うけれど、人生で大切なことはたいてい中学までに学んでいるのだ。

中学までの学習内容って、ほんとうに生きていくために必要なことを整理してうまくまとめているなぁ、と思う。義務教育、として納得できる。

 

なぜ、「受験」のための教育なのか?

それを、文科省が言ったかどうかはわからないけれど、少なくとも私の読んだ新聞記事やネット記事の見出しは書くのか?

「受験」はゴールではない。みんながみんな受験するわけではない。

 

私は、「受験」のための教育には反対だ。

学校教育を受けた、その結果を、持っていけばいい。各人が勝手に勉強して、好きなように高校なり大学なりを受ければいいと思う。

だから、各教育課程は、生徒が望む進路を叶えられるよう、そのときに教えると決められたことを、しっかりと教えるべきだ。

受験があるから教育をするんじゃない。教育を受けた結果、受験をするんだ。