コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

学校を再開させてはいけない(学習機会編)

学習機会、とは何だろうかと思う。

 

たとえば京都では一学期授業をしなくて、でも沖縄では一学期に普通に授業している。京都は損だ!ということ?

 

私の勤務校は、日曜日のお昼に、教科書を渡して今後のことを説明するための任意登校日を設けてあとは一ヶ月休むことを連絡してきた。

登校日もなくしたほうがいいと思うけど、これだけたくさんの教科書や教材、モノを渡さないわけにはいかないし、郵送するわけにもいかない。

だから、それで仕方ないと思う。

日曜日のお昼に伝えてくれたので、月曜日からはそのつもりで動けた。1ヶ月分の計画を練って、教材を準備した。1ヶ月で済まないよねきっと、と言いながら準備した。

京都市京都府の学校は、月曜日まで「予定通り」学校を再開させると言っていたけれど、月曜日に覆した。

兵庫県の学校はかなり引きずって、やっと4月19日までの休校措置とした。1週間で済むわけない。また、来週になったら、あと1週間、と言うのだろう。それでどう学習計画を立てて教材を渡してあげられる?

 

私は阪神大震災の被災者だけど、1995年冬に被災地では授業できなかった。

だから、東日本大震災のときに、被災地の教育ということをあまり考えなかった。だって、それどころじゃないから。

このときに学校再開についてあまり言われなかったのは、学校が避難場所になっていて、明らかに授業を行える場所ではなかったからだろう。

学校に通う手段もなかったし。そもそも、建物倒壊や火災や津波で全部なくなっていたし。

今回、深刻さを伝えるニュースの数字が変わっていくだけで、見た目のインパクトはまるでない。

クルーズ船の問題の時に報道が小さかったのは、見た目の問題だったと思っている。インパクトがない。「映え」ない。

 

今回、下手すると、何千人、何万人もの人々が死ぬ。何万人、何十万人もの人々が苦しい思いをする。コロナじゃなくても、コロナのために適切な治療を受けられずに苦しい思いをしたり死んだりする人が大勢出てくる。

震災以上に。

 

そして、震災と違って、コロナについてはこれまでたくさん時間があったし、シュミレーションができていたし、何も失ってはいない(経済のことはわかっています)。

じゃあ、なんで、何万人何十万人もの人々が苦しむことになるという事態を見過ごすの?

 

その一因を、学校を休みにすることで減らせるなら、どうして減らさないの?

予め長期的な予測を立てられれば、十分とまではいかなくても、何かしらのことを学校は用意するよ。

 

いろいろなおうちがある。家族が医療従事者だったり不特定多数の人に接する職業だったり。お年寄りや小さい子がいたり。基礎疾患があったり障害があったり。仕事のために、遠方の親戚に子どもを預けてるおうちもあるかもしれない。

大人なら、自分の家の事情を説明できるし、在宅勤務を相談することもできる。でも、子どもはできないし、教員はひとりひとりの子どもの事情まですべて把握できない。新年度はとくに。だって、はじめましての子たちだもの。

そして、通学範囲が広いと、あちこちからウイルスを持ち寄って、シェアして、またそれぞれ持ち帰ることになる。通学途中のリスクもある。

 

みんなが一斉に休めば、学校の教員が一丸となって遅れを取り戻すべく動くことができるのです。

国が一斉に動けば、特別に、今年度の授業内容を来年度に持ち越すことや大学高校入試の内容の配慮などもできるのではないですか。

まったく感染のリスクのない地域もあるかもしれません。だったら、自由登校にして自習したらいいし、別に授業を進めていても構わないんじゃないんですか。もともと、地域差や私立と公立の差や、なんやかやあって、学校教育って不平等なものだから。

でも、一斉にみんな休んでいるという前提があれば、対応は考えやすいし、平等。

 

怖いのは、「生徒が感染したり濃厚接触者となったりして登校できない場合」「生徒が発症した場合」。インフルエンザなら数日だけど、コロナの場合は2週間?1ヶ月?もっと?

「クラスに感染者が出たから学級閉鎖」。これも、どれだけの期間?その第一号の感染者さんいじめられない?

「一斉に」ではなく、その子だけ、そのクラスだけ、その学年だけの学習をフォローすることの難しさ。

教員だって、リスクにさらされているし、事情を持っているし、感染する可能性もある。常にフルで対応できるわけではない。

 

因数分解できなくたって大人になれるし、古文が読めなくても大人になれる。また学び直せばいい。でも、コロナウイルスで死んでしまったら大人になれない。

 

学習機会の平等性を保ちたいなら、どうか一斉に休ませて。

そして、余力のあるうちに、専門家や現場に計画を立てさせて。

お願いします。

 

ちなみに私もそうですが、勤務校の多数の人は、少なくとも一学期の間は普通に授業ができないという前提で動いています。実際に用意できているかは別にして、心積もりは、7月くらい前までコンスタントに勉強させられるだけの環境を用意してあげられるように、と思っている。

でも、心積もりはしていても、実際にどう学校をやっていくかは行政に従うしかないのです。だからどうか行政の側は、学習機会平等のためにスパンを長期に定めて指示を出してください。