コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

京都の外に出た

出かけてみた。

 

久しぶりに朝から喫茶店に行き、モーニングを食べる。

半分個室になったような空間で、ほっこり。

コーヒーは好みとは違う味だけれど、ただ自分で淹れてるだけなら、ひたすら私の定番の味しか飲めない。ほかの人が淹れてくれるコーヒーのおいしさ。

サラダをお箸で食べていて、お箸のない国の人は不便だろうなと思う。

フォークでレタスの最後の一枚を捕らえることの難しさ。

サンドイッチも、ハムの挟み方が私と違う。こういう風に挟めば、こういう食感になるのか。勉強。

備前焼の器で飲むお水。

普段読まないおしゃれ系雑誌。

ああ外食って楽しいな。

 

今となってみれば、自粛生活も楽しかった。ほかの人と話してると、あのだらだらした日々、もしかしたら私は結構充実させていたのかもしれない。たくさん本読んでテレビ見てネット見て文書いて勉強して。

でも、ほかの人と会っちゃダメ、出かけてはダメ、という制約の存在がしんどかった。

報道される、じわじわと増えていく数字が怖かった。

 

でも、今も、若干の後ろめたさはある。

仮の保釈中みたいな。

ちょっとの期間だけ許されているような。

後ろめたさの中のありがたさ。

今のうちに楽しんでおこうという気持ちと、私一人の行動が、感染に影響するかもしれない怖さと私が感染するかもしれない怖さ、目に見えない怖さ。

この土日、京都は人でいっぱいだろう。

ほかの地域からの観光客で。

私は、3月の後半の土日に人の流れを制限していれば、感染はもっとマシに済んだだろうと思っている。

考えすぎると病んでしまうから、どこかで思考をストップさせなければならないのだけれど。

しゃべらないとやっていけない、出かけないとやっていけない、そういう性格。

どう折り合いをつけていこう。