コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

飲み会大事。つづき。

2020年度、後悔していることがある。

いたしかたなかったとは思うんだけど。

職場でも結構お姉さんな位置になっていたのに、後輩さんたちの愚痴を聞いてあげられなかった。

おしゃべり自体をほとんどしなかった。

もっと聞いてあげられたら、あの人は辞めなかったかもしれないと思うし、あの人はああならなかったかもしれない。そして、私も辞めなかったかもしれない。

帰りに一緒にごはん食べに行く?とか、明日お茶しに行かない?とか、できなかった。

そのときに必要な仕事の話しかしなかった。仕事の話も、長期的な話はできなかったし、理想論を語ったりできなかった。

仕事の、余白の部分がほとんどなかった。

 

よその大きな会社の忘年会は、ホテルの会場を借りて、秋からビンゴゲームやお楽しみを準備する、本格的なビッグイベントだと聞いた。

そういうのは、このご時世、しづらいだろうし、それが度重なると通常時でもしんどいだろう。

忘年会や新年会を中止してください、っていうのも、そういうのを想定すると、仕方ないなと思う。

 

たしかに、付き合いはしんどい。

時間も思うようにならないし、お金もかかる。

忘年会が複数重なると、頭を抱えたくなる。

でも、でも、飲み会があるからこそ、愚痴も聞いてあげられるし言える。女子会なんて愚痴のガス抜き場。それがないのは辛い。

聞いてあげられるお姉さん的立場であることを自覚しながら、それができなかった悔しさ。

そして、自分の仕事のつらさを特定の人にLINEで愚痴るしかできなかったしんどさ。LINEに書いては消して、書いては消して、を繰り返した。その先輩先生も、LINEという閉じられた場で長文愚痴メッセージをたびたび受け取るのはしんどかっただろう。

 

朝の8時までに着くように出勤して、職員室を出るのは20時や、ときには21時、22時。それが毎日。帰宅してからは授業準備。

そんなふうに仕事をしていると、仕事はすなわち生活。

余白が必要。