飲み会大事。つづき。
2020年度、後悔していることがある。
いたしかたなかったとは思うんだけど。
職場でも結構お姉さんな位置になっていたのに、後輩さんたちの愚痴を聞いてあげられなかった。
おしゃべり自体をほとんどしなかった。
もっと聞いてあげられたら、あの人は辞めなかったかもしれないと思うし、あの人はああならなかったかもしれない。そして、私も辞めなかったかもしれない。
帰りに一緒にごはん食べに行く?とか、明日お茶しに行かない?とか、できなかった。
そのときに必要な仕事の話しかしなかった。仕事の話も、長期的な話はできなかったし、理想論を語ったりできなかった。
仕事の、余白の部分がほとんどなかった。
よその大きな会社の忘年会は、ホテルの会場を借りて、秋からビンゴゲームやお楽しみを準備する、本格的なビッグイベントだと聞いた。
そういうのは、このご時世、しづらいだろうし、それが度重なると通常時でもしんどいだろう。
忘年会や新年会を中止してください、っていうのも、そういうのを想定すると、仕方ないなと思う。
たしかに、付き合いはしんどい。
時間も思うようにならないし、お金もかかる。
忘年会が複数重なると、頭を抱えたくなる。
でも、でも、飲み会があるからこそ、愚痴も聞いてあげられるし言える。女子会なんて愚痴のガス抜き場。それがないのは辛い。
聞いてあげられるお姉さん的立場であることを自覚しながら、それができなかった悔しさ。
そして、自分の仕事のつらさを特定の人にLINEで愚痴るしかできなかったしんどさ。LINEに書いては消して、書いては消して、を繰り返した。その先輩先生も、LINEという閉じられた場で長文愚痴メッセージをたびたび受け取るのはしんどかっただろう。
朝の8時までに着くように出勤して、職員室を出るのは20時や、ときには21時、22時。それが毎日。帰宅してからは授業準備。
そんなふうに仕事をしていると、仕事はすなわち生活。
余白が必要。