コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

今年のドラマのフィクション

今期は、「この恋あたためますか」を見ていた。

最初は「リモラブ」も見ていたけど、途中脱落。コロナ期の産業医が主人公で、みんなマスク姿。現在進行形の2020年をドラマにするのは難しいなとわかった。やっぱり、マスクって、表情わからないし、難しい。

じゃあ、「恋あた」はいつの設定なのか。

2020年のクリスマスとするなら、ドラマに出てくるみんながまったく感染を気にしていないので、完全な作り物のパラレルワールドとなる。コロナなどない世界。去年の話?来年の話は難しい。ワクチンが行き渡るかどうかわからないけれど、まだみんなマスクして消毒もしていそうだから。

今後、ドラマを作るとき、2020年のことを回想シーンで描くならば必ずマスクやフェイスシールドや消毒液を出さなければ嘘になる。病気と闘う主人公を病室で励ますこともできないし、お葬式もこじんまりとしかできないし、出産に立ち会うこともできない。遠距離恋愛もできないし、海外に飛ぶこともできないし、出張もない。イベントもないし、コンサートもないし、入学式も合唱コンクールもない。

ここまで、ある年が、ビジュアル的に特徴的になることなんてないだろう。

私は日本史の人間で、こういう出来事があったからこの資料はこの年のもの、というのを推測するのが仕事。だから、2020年の資料が数十年後や数百年後に分析されることになれば、この年だけが特異なものとして、目印として使われることになると予想する。

それなのに、ドラマの中は、コロナなどないかのように進まなければならない。コロナを意識すると話は急速につまらなくなる。

ドラマだけでない、小説も漫画も、すべてのストーリーをもつものが、2020年をどう扱うかという問題が生じるはず。