コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

十分すぎるくらい我慢している

四条に行った。

野菜と柏餅とアイブロウライナーと洗顔料を買って郵便局でお金の払込をしたかった。

自宅から一番近いドラッグストアが四条なので、仕方ない。

カラオケ屋さんはお休みだった。行きつけの100円ショップも複数お休みだった。百貨店の服売り場は閉まっていた。映画館もお休みだった。でも、街は人で溢れていた。めちゃくちゃ混んでいた。いつも並んでいるパフェ屋さんには今日も行列ができていた。

 

私は、電車に乗らない、自分から人と約束しない、誰かとごはんを食べるとしても二人まで、というのを自粛の定義にしている。

四条は徒歩圏なので、許容範囲。

 

私だって、友達と遊びたいし、ぶらぶら買い物したいし、梅田に行きたいし東京に行きたい。

だから、友達連れできゃーきゃーしている人たちを見ると、むかっとする。

小さい赤ちゃんや子どもを連れた人、お年寄りを連れた人が、明らかに遊びっぽかったら、いらっとする。

家にいろよ、と思う。腹が立つ。

 

でも、一昨年のゴールデンウィークは、私は上海に行っていた。

毎年必ずどこかに行って遊んでいた。

じっとしていられないたちなので、新幹線や飛行機に乗りまくっていた。

 

日本にずっといる、というだけで、十分に我慢をしている。

京都の自宅からの徒歩圏内と神戸の実家にしかいない、というのは、私にとってものすごすぎる我慢。

 

多くの人にとっても、日本にいるだけで、我慢なのではないか。

外国に行きたい、飛行機に乗って旅行に行きたい、新幹線に乗って旅行に行きたい、どんちゃん騒ぎをしたい、イベントに参加したい、テーマパークに行きたい、親戚で集まりたい、などなど、いろんなことを我慢しまくっているのではないか。

めっちゃ我慢した結果、四条で妥協してるんではないか。

テラス席でお茶、とか、鴨川でコーヒー、とかで我慢しているのではないか。

 

そう考えたら、我慢の中でなんとかちょっとでも楽しく、というのがあの四条のにぎわいかもしれないと思えてきた。

 

完全に四条に人を来なくさせたいなら、全部店を閉めるべきだ。

それができないなら、あんまり四条にいる人たちを責めてはだめだ。

それでも、ちょっと不安にはなるけれど。中途半端だなぁって。