コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

伝染病の経験値

テレビドラマの「仁」。2009年放送のTBSドラマ。

 

「賢い」とはこういうことかと思ったのは、仁先生が、コレラ患者に対して適切な対処と治療を行ったとき。

うろ覚えの部分が多いですが。

コレラ患者を隔離する。封じ込める。看護する者は口を覆うなど徹底的に衛生に気をつける。患者の排泄物は離れたところに埋めて処分。そして、水に、砂糖と塩を溶かしたものを飲ませるという治療。

伝染病病棟!防護服!消毒!ワクチン!薬!点滴薬!トイレ!…そんなものが全部ない世界で、現在の感染症対策とコレラの病理や治療法が原理的にどうなっているのかを全て生かして、コレラを鎮静化させた。

ただただ、国家試験をパスするために暗記して、用意された環境と開発されたものだけを使って、目の前の患者さんを直すのではなくて、

感染症を広げないためにはどうしたらいいのか、政策のレベルから(と言ったら大げさかな)やってのけて成功させた。

どうしてこういう政策がなされるのか、対応がなされるのか、治療がなされるのか、薬や輸液が施されるのか、それの仕組みをわかっていたからこその、仁先生の対応。

 

仁先生がもし歴史を知っていたなら、長崎に入港した外国人がウイルスを持ち込んだ時点で止めてくれたらよかったのにね。

検疫。

持ち込ませない、ということ。

あるいは、持ち込まない、ということ。

 

江戸時代は、長崎から各地にものが運ばれた。

ものや情報だけでなく、病気も。

コレラやインフルエンザも。

そういう伝染病は、ほんとうに感染経路が分かりやすい。持ち込んだ人が立ち寄った場所でどんどん伝染させていく。発症した状態で日本を旅するわけないから、無症状あるいは軽症のまま、持ち込んだ人は運んで行ったのだろう。

 

春節のときに来日した中国の人からの感染はなかった、とされている。

でも、あの時点で、懸念される地域からの人は入国制限をしてよかったのではないか。

あるいは、武漢その他の懸念される地域は自ら出国制限を行うべきではなかったのか。

あの時点で、いろんな国が外国との行き来に警鐘を鳴らしていてもよかったのではないか。

事情は十分に推察できる。外国と行き来をするのは、私が想像できる範囲をはるかに超えた人たちだということもわかる。仕事、学会、留学、帰省、物流。そして、交通その他もろもろの経済的な打撃がものすごいということも。

それでもそれでも。

もっと被害が最小限のうちに食い止めることはできただろう。

過去の経験ってこういうときに活かすのではないの?だから歴史を勉強するのではないの?

感染病がどういう経路を辿って広がっていくのか、それはもう経験値としてわかっているはずで。だって、少なくとも江戸時代のものは分析可能。2009年のインフルエンザやスペイン風邪や、その他色んな経験値がある。

そして広がり方も、だいたいの予測はつくはずで。

マスクが不足するだの、テレワークや休校となれば家で過ごすためのものが急激に売れてしまうだろうだの、休校措置をとるならどういう形でどういう期間にとればいいかだの。予測をつけて、コロナウイルスが分かり始めた一月半ばくらいから増産なり対策なり立てられたんじゃないか。

封じ込められたんじゃないか。

大騒ぎして、結局何もなくてよかったね、で済んだんじゃないのか。

というか、大騒ぎして何もなくて、経済打撃だけあって批判されるのを恐れて、だから何もできなかったんじゃないか。

いや、まだできることはあるはず。

コロナウイルスはまったく新しい病気。でも、似たようなケースは過去にいくつもあったはず。

大騒ぎでいいから。

私が経済打撃をさほど実感する立場じゃないから言えているだけか?そうではないでしょう。歴史を学ぶ者として、歴史を重視してほしい者として、過去から学んで活かしてほしいと切に願います。