コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

流言について

3月18日の京都新聞朝刊の9面、京都大学大学院教育学研究科の佐藤卓己先生のインタビュー。

 

佐藤先生は『流言のメディア史』著者として紹介されている。

 

記事を要約すると、

 

○未知の状況に直面した人々が、どこかでウソだと思いながら非合理な行動をとるのは、パニックではない。たとえば買いだめなどの個々の合理的行動が集約された時に、不合理な全体状況が生み出されているだけ。

 

○メディア研究の立場からは、情報の真偽、たとえば「デマに惑わされるな」という言葉よりも、「在庫は豊富」「やがて安くなる」という指摘の方が有効だと言える。

 

○流言やうわさが流れるのは病理現象ではなく健全な社会の状態ではないか。情報崩壊ではなく情報構築の過程ではないか。

 

○専門家でも「正解」がわからない、一個人の情報「批判力」では対応できない。

 

○流言が社会にあふれている現実を受け止めて、思考停止せずに耐えることが必要。最終的に自分の判断で責任を持って行動を決めるべき。

 

○新聞やテレビなどのメディアは、「正しい」情報発信者として振る舞うだけでなく、情報収集と分析の過程を明らかにして、情報の受け手としての模範を示すことが、役割として求められる。

 

新聞は、必要なのは「あいまいな情報に耐える力」だと説く、とまとめている。

 

 

26度の「お湯」でコロナウイルスが死ぬ、という「デマ」は、「w」って感じ。

26度は水やん。それでウイルス死ぬなら苦労しないって。

 

私は、楽観的な見方をしていないので、コロナの収束には長くかかると考えている。

だから、4月になれば元通りとも思わないし、夏に延期すればいいとも思わない。

医学に詳しいわけではないけれど、関心がある者としては、半年以上様子を見なければならないのではないかと思う。

「暖かくなったら大丈夫だから」「コロナウイルスは温度に弱いんだって」と何度も聞いた。

それには反論する。

じゃあどうして熱帯の国にもコロナウイルスが存在して、今は夏のはずの南半球にもコロナウイルスが存在するんですか、日本だって、これだけ暖房をつけているのだから、「暖かい」という温度は超えてるじゃないですか。

あるいは「喘息の薬が効くってわかったらしい」「インフルエンザの薬で治るんだって」。

一例、二例でしょう。それはエビデンスとして不足している。

それで治る人もいるかもしれない。でも、今、心配されているのは、病床の数以上に患者さんが発生するかもしれないこと、人工呼吸器や人工肺などのようなものが足りなくなる可能性があること、現在の医療体制が追いつかなくなること(オーバーシュート)なんですよ。

私一人が反論してもしかたなくて、そういう流言は、話題として関心を集めている。ウイルスについて何かコメントしたい、現状に対して何か知識を披露したい人が、そういうことをもっともらしく言う。

そして、メディアも、じわじわ増えていく感染者数と死亡者数と外国の状況しか流す情報がないものだから、そういうことを取り上げる。

何か、新しいことを言っていないと気が済まないのだろう。

 

テレビに出ている専門家さんも、シナリオなしに出ている場合があるんだと思う。どういう流れか把握できないままに答えているケースがあるように思われる。また、質問や応答の中で、現実や意図と違うときに、専門家さんが十分に対応できていないケースもある気がする。

誰だって、いきなりテレビに出て、タレントさんたちとやりとりすることになったら、どの次元でどういう風に受け答えしていいか困るでしょう。

 

佐藤先生の言うように、メディアには、「安心できること」を新しい情報として流してほしい。

トイレットペーパーその他紙製品は在庫ありますよ。こういう仕組みで店頭からなくなっているだけですよ。これくらいの見込みで回復しますから焦らないでくださいね。

休校で大変ですが、こういう家での勉強の仕方がありますよ。この際だから一年間の総復習をしてみてはどうですか。ていうか、本来は春休み期間なんだから自習して当たり前なんですよ。

治療法はわからないけど、個人の免疫力を高めておけば、発症や重症化は防げますよ。免疫力を上げるためにはこういうことをしたらどうでしょうか?

 

ええっ?って思わせるのが、情報としておいしいところなのかもしれない。

でも、今は、そういうときじゃない。

ウソでしょ、って明らかに分かることは冗談で通じるかもしれないけど、真偽が本当にわからないことがこれから出てくると思う。

話題として面白くなくても、新しくなくても、安心できる情報を提供してほしいです。