コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

クラブを再開させていいのか?

京都で、学校のクラブ活動ができるようになった。

換気やマスクなどの条件はつけられているけど。

主な条件は、

・換気を行う

・離れて行う

・ものを共用しない

・2時間以内

・食事は取らせない

・マスク

・着替えなどは通気のよい部屋で行う

などなど。

美術部とか写真部とか、個人で行う作業の多いクラブならできるかもしれないけど、新型インフルエンザはバレーボールの試合で観戦して、あのときはどういう風にボールが動いたかまで分析された。

 

そして、今、問題なのはウイルスを運ぶことで、だから学校を休みにしたのではないか?

学校の本分は授業等の学習のはずで、クラブというのは優先順位一位ではないでしょ?

 

登校日、は、設けてもしかたない部分はあると思う。

教科書を渡したいし、課題が必要なら渡したいし、新年度のクラスとか学習内容とか伝えたいし。

ただ、これは、生徒たちの顔を見たいというこちらのわがままで、

限界はあっても、インターネットや郵送などで代用はできる。

 

でも、学習のための登校日よりクラブ再開の方が先なのが謎。

 

私にとっても確かに、中高生の頃、クラブというものはとても自分の中で大きかった。

自分の居場所だった。

楽しかったし、多くを学んだ。

でも、本来、学校は、授業なんかの学習カリキュラムがあって、それに友達関係や学級活動や行事やクラブが準じていくもののはずだ。

ブラック部活が問題になっているけど、本来部活は学校にとってオマケの部分ではないのか?

それがいつの間にか、クラブを目当てにして入学したりさせたり、ということになっている。クラブのために雇われたり存在している教員がいたりする。それが大きくなって、本来の学校の目的が失われているのではないか?

クラブ=居場所、という価値観ができあがっている人たちが大勢いるのではないか?

志望校を決めるとき、志望動機を述べるとき、肝心な学習内容にはあまり触れられず、オマケの部分ばかりが取り上げられる。しかたない、学校側がそれをアピールしているんだから。学習内容はどの学校もだいたい一緒で、だから違いをアピールするにはオマケの部分しかない。

もちろん、クラブそのものを否定する気はないし、オマケという言葉で低く置いているけど大きなものだということはわかっている。それでも、学習が先じゃないかと声を大にして言いたい。学習ができないのに、それを休めと言われているのに、どうしてまずクラブ再開なんだ?

授業の方が、大人が責任持って管理しやすいのに、どうして生徒の自主性や責任に委ねられる部分が多いクラブが先なの?

「必要で急を要する」クラブもあるんでしょう。具体的に思いつくところもある。でも、プロの人たちも練習できなくて試合できないのに、学生がする必要はあるのか?顧問が自主トレメニューとかを指示して、多少子どもが公園や河川敷で発声練習をしていたり楽器の練習をしていたり怪しい筋トレをやってたりしても、社会は容認してくれるのではないか?

 

学校に生徒が来ないという異常事態。

テストができなかった、授業ができなかった、これからも授業ができるかどうかわからない。

ここまで我慢して我慢して我慢して、それでこれからが感染拡大の分かれ目で、東京都も外出自粛を要請した。それなのに、クラブを再開させることで、またウイルスを撒き散らかして、テストや授業を我慢したことを無駄にするのか。

子どもたちは、あ、外に出てもいいんだ、と思ってしまうだろう。絶対に。

クラブをこのタイミングで開始させるなら、じゃあ休校要請をせめて一週間遅らせて、3月9日からにしてほしかったし、まずは登校日設定可の指示を出して欲しい。

 

クラブ再開は、これまでや現在の感染拡大阻止を妨げることだと思う。

再開させるな。

 

このblogは公開しているので、具体的なことは書けません。それが悔しいけど、しかたない。