コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

選挙

選挙に行こう、という呼びかけがやたらと多い。

 

なんか、最近、やたらと選挙が多い気がするのだけれど。

今日の用事の帰り際に投票所に寄ってから帰宅するつもりだ。

 

私は、投票をする、ということを、ごく自然なことと思っていて、何も疑ったことがない。

ああ選挙があるのか、くらい。

一回一回の選挙に思い入れがあったりなかったりするけれど、

新聞見たりホームページを見たりして調べて、ポスターや街頭演説を見たりして、

誰かしら、どこかしら選んで、投票する。

私にとっては、ごく普通のこと。

 

だから、なんで、こんなに投票の呼びかけがあるのかがわからない。

なんで、こんなに投票率が低いのかが、わからない。

 

逆に、「なんで投票に行くの?一度も欠かさずに行くのはなんで?」と聞かれたことがある。非常に困る。

「ほら、教員だからさ、やっぱり行っといたほうがいいかなぁと思って」「うちの両親が欠かさず投票に行く人だったから」とか、とってつけたように言う。

「まじめだねぇ」とか言われる。

 

コロナのワクチンも、インフルエンザのワクチンも、子宮頸がんのワクチンも、私は何も疑わずに受けてきた。

インフルエンザは、小学生の頃から、毎年、欠かさずに受けている。両親がどちらも医療系に勤めているので、家族の誰かが感染すると出勤停止になるのだ。だから、両親はインフルエンザを非常に恐れていた。そして父は公衆衛生の、予防系の医学研究者だったので、分野は違えど、病気を予防するということを積極的に発信していく立場だった。

私の周りにも、コロナのワクチンを接種していない人が、ちらほらいる。

「受けるべきだよ!」と強く言えない。

職場とかなら、職種的にも、職場の場所的にも、リスクが非常に高いし、誰かが感染した時のリスクは私にも降りかかってくるので、言えるけど。

主婦やフリーで働いている人、異業種の人には言えない。

「あー、そうなんだ。私は、仕事的に、受けたけどなぁ。まあ、受けなくてもいいんじゃない?」とか、言ってしまう。

 

投票と一緒だなぁと思ってしまう。

 

私は、当たり前だと思っているけど、

当たり前だと思ってない人がたくさんいる。

なんでコロナやインフルエンザのワクチンを打つの?と聞かれても、私は、当たり前だと思って打っただけで、言葉にできる理由は苦し紛れのものしかない。

教員だから、うちの親の子どもだから、というアイデンティティから?そんなのは苦し紛れ。

何も疑わずに、受け入れてしまったんだからしかたない。

私の当たり前を人に押し付けてはいけない。

とくに、ワクチンは、一人一人の健康観に深く立ち入れない以上、強く言えない。

でも、逆に、どうして、投票に行くということが、当たり前ではないのだろう?

それを誰かに聞いてみたい。