コロナについて教育の立場から思うこと。

このたび、COVID19(新型コロナウイルス)の影響を受けて、考えたことを発信します。

発音

文学部のオンライン授業を受けている。

楽しい。

COVID-19、という字面をよく見てきたけど、これって、19部分、発音すると「ナインティーン」なんですね。先生が何度も「コビッドナインティーン」と繰り返すたびに、「長っ!」とつっこんでいました。

字ばかり見ていて、なんて発音するんだろう?と考えたことがありませんでした。

12o'clock、みたいな単語を見ても、「じゅうにオクロック」と発音する私は、COVID-19も、「コビッドじゅうきゅう」と思っていました。

聞くって大事。

世の中のみんなは、どう認識してるんだろう。

というか、オンライン授業が充実していて、忙しい忙しい。

京都の外に出た

出かけてみた。

 

久しぶりに朝から喫茶店に行き、モーニングを食べる。

半分個室になったような空間で、ほっこり。

コーヒーは好みとは違う味だけれど、ただ自分で淹れてるだけなら、ひたすら私の定番の味しか飲めない。ほかの人が淹れてくれるコーヒーのおいしさ。

サラダをお箸で食べていて、お箸のない国の人は不便だろうなと思う。

フォークでレタスの最後の一枚を捕らえることの難しさ。

サンドイッチも、ハムの挟み方が私と違う。こういう風に挟めば、こういう食感になるのか。勉強。

備前焼の器で飲むお水。

普段読まないおしゃれ系雑誌。

ああ外食って楽しいな。

 

今となってみれば、自粛生活も楽しかった。ほかの人と話してると、あのだらだらした日々、もしかしたら私は結構充実させていたのかもしれない。たくさん本読んでテレビ見てネット見て文書いて勉強して。

でも、ほかの人と会っちゃダメ、出かけてはダメ、という制約の存在がしんどかった。

報道される、じわじわと増えていく数字が怖かった。

 

でも、今も、若干の後ろめたさはある。

仮の保釈中みたいな。

ちょっとの期間だけ許されているような。

後ろめたさの中のありがたさ。

今のうちに楽しんでおこうという気持ちと、私一人の行動が、感染に影響するかもしれない怖さと私が感染するかもしれない怖さ、目に見えない怖さ。

この土日、京都は人でいっぱいだろう。

ほかの地域からの観光客で。

私は、3月の後半の土日に人の流れを制限していれば、感染はもっとマシに済んだだろうと思っている。

考えすぎると病んでしまうから、どこかで思考をストップさせなければならないのだけれど。

しゃべらないとやっていけない、出かけないとやっていけない、そういう性格。

どう折り合いをつけていこう。

 

久しぶりに外食した

どうしてもこのタイミングしかなくて、神戸方面での用事を消化する日にした。

府県をまたがるのは19日以降OKだということはわかっている。でも、来週からは仕事が本格的に始まってしまうのだ。

病院系が主な用事だし。またいつ外出自粛になるかわかんないし。前に電話診療してもらったお金払わなきゃだし。言い訳を並べ立てて、京都から2ヶ月ぶりに外に出た。

用事だけ済ませて帰るというストイックさ!

服も見たいし本屋も入りたいしアクセサリーも雑貨も見たい。だらだらお店を回りたい。

うう。

 

外食。一人でなら大丈夫なはずだ。

お一人様万歳大歓迎なはずだ。

 

約3ヶ月ぶり。

久々外食に選んだのは、梅田の大丸地下のつるとんたん。ここはカウンターメイン。みんなお一人様。

明太子のおうどん。つるとんたんは絶対に冷たいおうどんがおいしい。歯ごたえ!

そしてこういうのってテイクアウトでは絶対無理。

折角の外食なのに栄養のないものを食べてしまってる。でも。でも。おいしい。

 

テイクアウトのお弁当もおいしかった。

自分で作るごはんもおいしい。

でも、やっぱり、よそで食べるごはんって、めちゃくちゃおいしい。

 

平日なのに、梅田は大混雑。土日は、もっと混んでるんだろうなぁ。やっぱり来れないなぁ。

でも、早く、友達と約束して、土日に、だらだらとお店を見て回って、ランチしてお茶して、混んでて最悪!って言いながら遊びたい。

 

早く、と思う気持ちと、

お金を使わず遊ばず外食せず、それしかない、という生活の気楽さと、

その二つで揺れ動く複雑さ。

 

でも、なんにせよ、外食はうれしい。

 

「失敗の本質」

コロナ期間に、本友達ができた。

村上春樹ばかり勧められた。

私は村上春樹はエッセイばかり読んでいて、小説は短編しか読んでなかった。

好きなミュージシャンが「ノルウェイの森」を勧めていたので、親に貸してくれと言ったら、「まだ早い」と何度も言われ、ああ村上春樹の小説は私にはまだ早いんだと大人になっても思い続けて今日まで来た。

結論。よくわからん(笑)。私にはまだ早かった。

その友達はエッセイはまったく読んでないとのことで、エッセイを勧めまくっている。

 

その友達から、「失敗の本質」という書名を複数回聞いた。

戸部良一(政治外交史、国際日本文化研究センター)、寺本義也(組織論、早稲田大学)、鎌田伸一(組織論、防衛大学校)、杉之尾孝生(戦史、防衛大学校)、村井友秀(軍事史防衛大学校)、野中郁次郎(組織論、一橋大学)『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』中公文庫で2020年3月で71刷。もとは1984ダイヤモンド社刊。

小池百合子さんたちが絶賛しているらしい。

ぜひ読んで、というので、えー?と思いながら本屋に行ったら、8冊積んであった。

解説本等もあった。

売れている。

日本史をやってきたにもかかわらず、戦争のことは触れないようにしてきた。というか、戦争を避けたくて江戸時代を専門にしてきた。だから、戦争の本はできる限り読まないできた。

でも、防衛大学校の人が書いている本に興味を持ってしまった。

そして、「日本史」でないところにも興味を持ってしまった。

村上春樹が最新のエッセイ「猫を捨てる」で、お父さんが第六師団に属していて戦争に行ったらしい、と書いていたことも影響した。

 

まだ、半分しか読んでないけれど、なぜこれが今売れているのか、71刷まであるのか、わかる気がした。

買った。

 

日本軍は、かわいそう、という表現しかされてこない。

ノモンハン事件というのは、あまり語られない。

私ですら知らない。すら、と言っていいと思う。江戸時代専門とはいえ、一応日本史は高校生時代にはまりまくって、教科書的な内容はだいたいわかってるし、教員免許も持っている。

満州ソ連とモンゴルの国境付近での戦いで日本がめっちゃ負けて大変だった、くらいしか知らない。

遺族が骨を引き取らなくて大変だった、みたいな話で読んだくらいかな。

南の島で自決を強いられた話、疫病で大変だった話、食べ物がなくて困った話、原住民から逃げた話、終戦を知らなかった話。たいていが、一般の兵隊さんがかわいそうだった話だ。

トップの話はほとんど知らなかった。

 

戦争中の話で、真珠湾攻撃の知らせを聞いて、みんながわーい!ってなってる中、一部の「かしこい人」は顔をしかめて「この戦争は負ける」と言っていたとか、

英語は禁制となっていても学び続けていたとか、

そういう話を聞くけど、

戦争中、ほんとうに「かしこい人」は辛かったんじゃないだろうか。

理屈的におかしい、論理的に矛盾する、全体を考えたらだめなんじゃないか。今それをやっている場合か、今それで安心していいのか、今その姿勢で大丈夫なのか。カミカゼなんて吹かないに決まってる。

それが、今のコロナ禍に共通する。

おそらく、検査をもっとしていれば、今数字が出ている数倍数十倍の感染者数がいて、死亡者率はもっと低くなって、韓国や台湾に並ぶかもしれなくて、日本はほかの東アジアの国と同様にコロナでの死亡率は低かった、という結論になるんだと思う。

欧米と比べたら確かに日本の死亡率は低かったし、死んだ人は基礎疾患等あった人が多いから、コロナはましだったと言わざるを得ないだろう。それは東アジア全体の話。

山中伸弥先生はなぜコロナがましだったか、というのに「ファクターX」という語を用いていて、それがなんだったのかということを言っておられるけど、

たしかにその「X」の内容には、ハグやキスをしない文化や、家の中で靴を脱ぐ文化、清潔を好む文化、マスクをする習慣が含まれると思うけど、それだけで説明がつくものではあるまい。

そして、「民度」という言葉で片付けられるものではあるまい。

まるでカミカゼが吹いてコロナがましで、日本人はすばらしいから、すばらしい努力をしたからよかった、みたいに「えらい人」は言うけれど。

 

日本はすばらしかった、という自画自賛的なコメントを聞くたびに、ぞっとする。

戦争を思い出す。

 

結果的になんとかましだっただけで、

といっても、それは全国均したらましだったというだけで、東京や大阪は大変だっただろう。

保健所や役所や医療機関が死ぬほどがんばっただけで、それもトップに振り回されながらがんばるしかなかっただけで、それは戦争中の兵隊さんの姿と重なる。

10万円の給付、思いついたのは「えらい人」だし、なんやかんやコロナのせいで出費も多かったし微妙に収入も減ったし、これから飲食店や旅行にお金を使っていくべきだと余裕ある人としては思うので、10万円もらえるのはありがたいんだけど、

それでも今、役所の人たちがどれだけ苦労していることか。

そして、すぐにもらえると思って期待していた、ほんとうに困ってる人たちは、いつまでももらえていない。

 

「失敗の本質」とまとめられて、売れているけれど、

組織は大日本帝国のまま、あまり変わっていない。

 

 

 

 

 

 

オンライン教育のために

withコロナ、ということで、これからもオンライン教育を拡充していくことは必要だろうと思う。

生徒に一人一台PCやタブレットを、という声はよく耳にする。

でも、PC等を使うための教育を、という声はあまり聞かない。

 

私の勤務先はもともとオンラインを少し使っていたので、下地があった。

Google classroomを使っての連絡、指示、課題の配布と回収。スタディサプリでの補い。すべての子や教員が使いこなしていないとはいえ、既存のものがあれば、なんとかはなる。

PCも、ない子には貸し出しをしたので、機器がない、というところはないはずだった。

お金次第なので、PCを買わせたり貸したり、ということは早くできると思うんですよ、どこでも。

 

でも、PCの使い方、という授業はあっただろうか?

中3で「技術」、高1で「情報」の授業はあるけれど、それ以外にPCの使い方については学んでいない。

今、大学生でもPCを使えないと聞く。

レポートもスマホで書くそうな。

ひええ、と思うのは、古い世代。

PCのキーボード配列を、私は高校生のうちに電子辞書で身につけたけれど、まあスマホでも調べられるもんねぇ。

たしかに、ある程度までは直感で使えるけれど、将来のためにキーボード配列に慣れさせるとか、各機能を教えるとか、ネットの使い方や仕組みを教えるとかは、しておかなければならないんではなかろうか。

プログラミングも大切ですが。実際問題として。

 

そして、ネットリテラシー

調べさせる、レポートを書かせる、という課題が多かったと思うのだけれど、

こちらからの授業もできず、図書館も使えない状態では、ネットで調べて、コピペしてアレンジして、というのがどうしてもメインになってしまう。

じゃあ、どういうサイトが、調べるのに向いているのか、どういうサイトがNGなのか。

コピペするときは何がマナーなのか。

参考URLはどうつけるのか。

調べたこと、コピペさせてもらったことと、自分の考えや意見をどう分けるのか。どう書けば、レポートとしての体をなすのか。

それを、みっちり教えたら、インターネットでの調べ物やそれを使ってのレポートがちゃんと書けるのではないだろうか。

 

レポートの書き方、文献やインターネットなどでの調べ方、というのは、学部一回生のときに、演習で習った。うちは少人数だったのと、メディアを扱う人もいたことで、そういうのを丁寧にやってくれた。といっても、院生さんの授業だったので、院生さんが必要だと判断してくれたのだろう。PCの使い方、は、ワードやエクセルなどについて大学で講座をやっていたので習いに行った。母がPC教室に通うというのでついていって習った。

つまり、きちんとしたカリキュラムの中ではPCについて習っていないのです。

レポートの書き方、というのも、実は習ったことがなくて、なんとなく自己流で書き続けている。ほかの子のを読む機会もない。

中学高校で必修科目にしていいんじゃないかなぁ。

 

オンライン教育、といったときに、機器の整備を!ばかり言われるけれど、

学校からの発信とか教員の技術とか言われるけれど、

子どもたちにオンラインを使いこなすための準備の教育をしっかりしなくちゃいけないと思うのです。

そしてそれは、こんなコロナ禍でなくても、いつでも必要な教育だと思うのです。

その充実を図ってもらえないだろうか?

 

 

健康第一

食中毒に気をつけるように、と言われた。

本来なら7月はほぼ授業を行わないのだけれど、今年は7月いっぱい授業をする。7月は食中毒のピークは過ぎているけれど、それでも、梅干しを入れるとか保冷剤を入れるとか、工夫して、と生徒に伝えておいて、と。みんな3ヶ月うちで過ごして、できたてのごはんを食べることに慣れていて、いきなりお弁当はきついかもしれない、抵抗力なくなっているから、と。

コロナウイルスのことばかり考えていたけれど、そのほかの健康のことも考えなければならない。

 

私は、梅雨が苦手だ。

髪の毛がうねうねになる。洗濯物が乾かない。湿度が高いとただただテンションが下がる。メンタルが身体に反映されやすいので、体調も悪くなる。

どこといって悪いところはなくても、絶対に梅雨は鬱になる。

全身倦怠感、なんて、絶対に私に襲いかかりまくる。

 

夏も苦手だ。

汗まみれになることが苦手だ。

クーラーがガンガンに効いたところも苦手だ。

 

これから、私の体調を悪化させるしかない時期が待ち受けている。

 

今日も、自分でお弁当作ったくせに、「食べたくない。素麺がいい」と本気で思った。

 

暑いのか涼しいのかわからない。

どの服を着たらいいのかわからない。

 

鼻づまりが激しいのは、掃除をずっとしてるから。ハウスダストアレルギー。

 

コロナのことばかり心配していないで、普通に、体調を気にしなくては。

あれだけだらだらだらだら過ごした日々から、急に仕事が始まった。まだまだ本格的ではないけれど、結構疲れる。自分のペースで自分のやりたい仕事をやれていたあの休校期間の楽さ(違う種類のしんどさはあったけれど)。

 

ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと休んで、体調を崩さないように。

それぞれ全員が、体調を保つことが、まず大切。コロナのためにも。

 

ああ梅雨がやってきてしまう。絶望的。

 

オンラインも楽しい

今日、やっと授業をできて、オフラインやっぱりいいよね!と思ったんだけど。

でも、オンラインに向いている教材もあったんだな。

古典は、NHKの番組の力を結構借りた。景色とか、お寺の写真とか、よい感じで見せてくれる。きゅっとまとまってる。

現代文は、音読をしたくない、温度を与えたくない、という教材があって、それをオンラインでやった。ただひたすら質問して、比較したり、調べたり、自分と対話させたりする。オフラインでやると、それぞれが心の中で思って終わってしまったり、こちらが全員分聞けなかったりするのだけれど、全員と一対一で向き合えて、書いて提出されたものをじっくり読んでコメントすることができた。苦し紛れで書いたような文章からのほうが、私が教えられたり気づかされたりもした。

オンラインのデメリットは、お互いに「てきとう」な空白が許されないこと、「間」が許されないこと。そして、やっぱり、温度がないこと。

 

第二波、第三波がくると言われて、いつ対面授業ができなくなるかわからない。

またオンライン授業に戻るだろう。

今のうちに、対面でしかできないこと、オンラインでもできること、を分けて、オンラインのほうがメリットあったり面白かったりすることはオンラインにすればいいのに。

週の半分くらい休みにして、通学したらオフラインでしかできない授業を集中して受けて、オンラインでもできることはオンラインでやれば?と思う。

学校というものがオンラインを前提としていないので、全部は無理。

それは仕事も然り。ハンコどーちゃらこーちゃらの話もあるけど、オンラインでできることとできないことを分けて、できるだけオンラインでやればいいと思う。