マスク外せ「圧」
マスクをつける/つけないが個人判断になった。
それは別にいいと思う。
嫌なのは、マスクを外さないことを非難する「圧」。
海外ではみんなマスクを外しているのに、日本人はなかなかマスクを外さない、それは習慣化しているからか、それともマスクを外してはいけないと思っているからなのか、とか。
「マスクは楽」ということに気づいたから。
私がマスクを外さない理由はそれだけだ。
漢字にすると「習慣化」なんだろうけど、それの何がだめなんだろう?
ちょっとした買い物ならノーメイクで済むし、普段だってファンデーションを塗る程のメイクをしなくていい。
口をぼーっと開けたままでいられるし、道を口パク熱唱しながら歩くことだってできる。
私は仕事柄人に見つかりたくないので、帽子とマスクで外を歩く。不意に写真を撮られる機会も多いけど、マスクなら、まあ、別に撮られてもそんなに構わない。
人との距離がゼロの空間、たとえば電車の中とか人混みの中とかは、私は背が低いから、隣に密着している人に顔をくっつける形になる。不本意な密着でも、マスクがあればまだ我慢できる。
私はニオイに敏感なので、鼻と外気との間にワンクッションほしい。
あと、花粉とかハウスダストとかのアレルギー持ちなので、できるだけ、それらを体内に取り込みたくない。
そういうことすべて含めて、「マスクが楽」という結論で、マスクをつけて歩いている。
だめなんですか?
暑くなってきたり、絶対に人と密着しないとわかっていたり、アレルギー源が飛んでいる可能性が低かったりしたら、はずす。
そういう自由を得たってことなんだと思っているんだけど、
マスクって、外さなきゃダメなんですか?
ひそかに、コロナ、まだ流行っているけどね。私は、防げるものなら防ぎたいなぁ。
シンプルに、コロナとか風邪とか、うつされたくないし、うつしたくもないから、マスクをつける。それじゃダメなんですか?
マスクをつけているっていうのは、責めるべきこと、責められるべきことなんですか?
「行動制限なし」の夏休み
行動制限したくない。
というのは、わかった。
もう、補償ができないのでしょう。
でもね、移動の禁止とかは言わなくていいけどね、
手洗い消毒の徹底とか、換気をするとか、三密を避けるとか、熱中症が心配されないところではマスクをするとか、
そういうのは、必要なんじゃないだろうか?
「無症状でしょ?」とか「ワクチン打ってるし」って言う人いるけど、それでも、できる限りの感染予防をしながら日常生活を送りましょうよ。
私は、コロナに感染したくないし、周りに迷惑もかけたくない。
マスク
感染状況がましになってきているし、暑いから、マスクを外してもいい。
でも、「マスクを外してもいい」と「マスクを外しましょう」は違う。
日本人はなぜマスクをし続けるのか?とかいう疑問の意味がわからない。
「マスクを外しましょう」と勧告されているわけじゃない。「マスクを外しましょう」と言われているのにマスクを外さなかったら「日本人はなぜマスクをし続けるのか?」という疑問が出てくるだろうけど。
「どんな時もマスクをしていなければならない」という状況が面倒くさいだけで、別にマスク自体は嫌じゃない。「私の鼻、低いなー」と思いながら過ごすことが皆無になって、それはそれですごく楽。重ね塗りするファンデーションもチークもハイライトも口紅も捨ててしまって、もうこの楽ちんメイクから離れられない。
マスクつけたままでいたい。
外したい時には外すよ。その自由を得られたことは嬉しい。それだけ。
逼迫
昨日、体調が悪くなった。
お昼ご飯を食べている時から違和感があり、食後に鏡を覗くと、口の周りが腫れていた。
夜になると、顔全体に違和感があり、じんじんしてきた。触ると、ぼこぼこしていた。
腕にも発疹が出てきた。
夜も10時を過ぎたのに、どんどん顔も腕の発疹もひどくなってくる。
過去に、アレルギーで呼吸困難で数時間動けなくなるということを経験しており、それになったらどうしようと思う。
#7119に電話をして、指示を仰ごうとした。
電話口の看護師さんからは、瞼が腫れていなくて(見た目にはまぶたは腫れていなかった)、咳き込み(呼吸器内膜腫れ)がなく、息苦しさやアナフィラキシーがなければ、受診しなくてよいと言われた。
しかし、電話をしている間も、頭は朦朧としているし、顔の違和感は激しく、しゃべるのもやっとだった。
この数十分で症状が急激に悪くなっているので、できたら病院を受診したい、と言うと、
「コロナが理由で難しいと思いますよ」と断られた上で、
当番医を教えてくれた。
3つ教えられたけど、そのうち2つは明らかにものすごく遠かった。1番近いところは、内科やっているのか?と思ったけれど、何も言い返す気がなかった。
自宅からすぐの大学病院に行くことはできないか、と聞いた。今すぐにでも病院に行きたかった。多少お金がかかっても行きたかった。電話番号を教えてもらった。
コロナで難しいと思うのでこのサイトを調べてくださいね、とも言われた。コロナのことがあるので、必ず電話をしてから行ってくださいねと言われた。
メモをするのさえ困難なほどに手もおかしく、会話がまどろっこしかった。調べるとかどうでもいいから早く教えて病院につないでくれ、と思った。
当番医のうち、近いところに電話をかけた。
「うちは整形外科しかいないので無理です」とあっさり切られた。
大学病院には電話がつながらなかった。あとでホームページを調べると、総合の番号だったので、夜間対応していない電話番号だったのだろう。
やむをえず、24時間営業のドラッグストアを探し、自転車で行って、アレルギーの薬を買った。
花粉症用のものしかなかったけど、しかたない。
それを飲んで、無理矢理寝ようとした。
これまで、卵アレルギーの発作は、寝れば治っていた。
寝床に入ると、今度は全身の痒みが襲ってきた。
不安に苛まれながら眠りに落ちたのは明け方近く。
朝起きると、顔がぱんぱんに腫れあがって別人のようになっていた。
全身の発疹はそのままだった。
身体が重かった。
行きつけの皮膚科に電話をしたけど、予約がいっぱいだと断られた。
電話の間も、発疹が広がっていくのを感じていた。今、悪くなっているので緊急で見てもらえませんかと言ったけど、無理だと言われた。
お医者さんが出勤できず、手が足りないらしい。
そこは、申し訳なさそうに言ってくれ、「おだいじに」と言ってくれた。
昨夜の病院は非常にぶっきらぼうだった。
ネットで木曜日の午後もやっている予約不要の皮膚科を見つけ、行った。
親切に話を聞いてくれ、薬を処方し、検査してくれた。
お医者さんも看護師さんも受付の人も、とても親切だった。
よかった。
まだ症状は完全に治っていないけど、薬があるということと、「明日から三連休ですけど、うちはやっています」と言われたことが、ありがたかった。
アレルギーで、食後18時間以上症状が続くなんて初めて。
昨夜は、本当に、死んだらどうしようと思っていた。
学校で、生徒がアレルギーの発作を起こしたら、救急車を呼ぶ。
私も救急車を呼べばよかったのかもしれない。
でも、このコロナで困っている時に救急車の人の手を煩わせたくないと思った。
友達が急性アルコール中毒で倒れた時に一緒に救急車に乗ったので、救急車を呼ぶと大袈裟になることはわかっている。
これは救急車じゃないだろう、と思ったから、#7119にかけた。でもそこで教えられた番号は使えないものだったし、教えられた他の病院は遠過ぎた。
しかも、コロナなので難しいと思いますよ、と複数回言われた。
こんな夜中に病院に行きたいと言っているほどに症状が悪化していっているのに、調べてください、と言われるのは、きつかった。調べても、電話で言われた以上の情報は出てこなかった。
実際に死なずに済んだのだから、結論的には救急車を呼ばなくてもよかった。
でも、自力で夜中に病院を見つけ出すことの困難さを思い知った。
「コロナで、診てもらうのは難しい」と複数回言われたことも、心理的負担だった。
救急車を呼んでも、「診てもらうのは難しい」状況なのなら、死なない程度の症状なのに、病院をたらい回しにされて気まずい思いをするだけだ。
「本当に危ないと感じたら救急車を呼んでください」というアナウンスが流れたし、肉声でも言われたけど、「本当に危ない」ときには本人は電話できないのではないだろうか。
当番医が「整形外科医しかいないので無理です」と断るのは意味があるのか。その一言でがちゃりと電話を切るのはどうなのだろうか。
せめて、「ご本人さんですか、無理ですみません、お大事になさってください」と付け加えてもらえないだろうか。
医療体制を責める気はない。
ただ、言葉の力って大きいから、それに気を遣ってもらうことはできないだろうか。
「コロナで難しいと思いますよ」の言葉は現実的なんだろうけど、それで絶望的になる気持ちをどうにかしてほしい。
ほんとうに、昨日の夜は、死んだらどうしよう、という思いだった。
患者のその思いを、せめて言葉で救って。
これ、コロナに感染して、病院に行かなきゃいけないような状況になっても、行けないってことよね?
オンラインとオフライン
管理職の先生とおしゃべりする機会があったので、オンライン授業のことを話した。
「オンラインは補助でしかない」という意見がここまで一致したことがなかったので、嬉しかった。
基本的なことを一方通行で授業するなら、オンラインでもできる。ただ、子どもたちの板書を写すスピードや理解度を窺うことが難しいから、本当に一方通行のものになる。だったら、スタディサプリなどの学校外の授業を借りれば間に合う。
授業のコメントを集める、ということは、オンラインは適している。でも、そのコメントの文法を正してあげたり、誤字を直してあげたりすることはできない。
漢字テストもできない。その他実技系の試験もできない。学校の設備を使うようなもの(実験とか調理実習とか)もできない。
私の教科は国語だけど、著作権の問題が厳しい。渡辺謙のめちゃくちゃ渋くて大好きな朗読があるのだけど、それを聞かせてあげることは難しい。(一時期でしたが、光村図書さんがオンラインで朗読を解放してくださったのはとてもありがたかった)
高3だったらある程度何とかなるけど、やはり中1さんなど低学年はオンラインじゃなくて直接見てあげたい。
ただ、子どもたちの側からしたら、授業を一時停止しながら見られるとか、わかりにくかったところをもう一度聞けるとか、メリットもある。
そして、国内の遠いところや海外からのゲストスピーカーを招くこともできる。
オンラインだと、手元を見せやすいというのもある。中学生の美術の授業に感動した。拡大や早送りを使って、映像のテクニックを最大限に活用していた。
コロナの流行が拡大していて先が見えない状況では、混乱していても仕方がないけれど、コロナが収束したあとは、うまくオンラインとオフラインの使い分けと組み合わせをできればいいなと思う。
基本はオフラインで、でも、オンラインやツールをうまく取り入れながらやっていきたい。